食事摂取量が低下しつつあり、食事介助しようとするも開口されない入居者さん。
どうすれば少しでも食事を食べてもらえるか???
はしやスプーンを自分で持ってもらったら食べることを思い出してもらえるのではないか。
器が大きすぎるのか、持てるサイズならどうか。
好きな物だったら開口してくれるか。等。
色んなことを試して、
入居者さんの表情や発する言葉を観察して、
ということの繰り返し。
少しずつでも自分で食べられる姿が見られるようになるのは嬉しい事。
やってみてよかったなぁ~と実感するひと時。
最近では、他職員へ「こうやって試してみて」とアドバイスもできた。
自分の出来ることが増えてくると、情報発信する楽しさもわかってきた。
みんなができる様になれば、それだけ多くの入居者さんが笑顔になるということ。
食事の準備をすると、私の顔をじっと見て、笑顔をみせてくれて。
それから、食べ始められていた姿が印象的です。
入居者さんの様子を、
「今日はこうだった」
「こういうふうにしてみたらどうか」等
他職員と共有し、仕事をしていく。
自分のできることを増やす⇒できたことを仲間に伝える⇒みんなでできるようになる
入居者さんの笑顔を引き出せる。介護という仕事の魅力だと思う
レシピを読ませていただいて、ホント共感しました。入居者様の変化に気づきタイムリーに伝え共有できれば、リスクマネジメントに繋がることもでき、何よりリアルタイムに、よりよいケアを考え早くに提供できますね。
「共有」「共感」
一言で言えば簡単ですが、なかなか難しく誰でも出来ることではありません。
先日、読んだ書籍の一節が理解を深めてくれました。
共感ー
他人の心の動きに対する無関心や無知は、現実に対する関係をまったくゆがめてしまい、人を盲目にしてしまう。アダムとエヴァの時代からこのかた、つまり、ひとりの人間がふたりの人間になってからこのかた、他人の身になってみようとしなかった者、他人の目で見ようと試みることによって自分の真の状態を知ろうとしなかった者、そういう者は誰ひとりとして生きながらえることはできなかったのだ。他人の感情生活に想像力をはたらかせて、それを察知する技術、つまり、共感というものは、自我の限界を打破するという意味で賞賛すべきものであるばかりでなく、自己保存の欠くべからざる手段なのである。(トーマス・マン『ヨゼフとその兄弟たち』)
私たちケア提供者は、なぜ食べてもらいたいと思っていろいろ工夫するのでしょう?
なぜ笑顔をみるとうれしくなるのでしょう?
食べてもらうことを目的にケアしているのではないし、
笑ってもらうためにケアしているのでもありません。
私たちの心の中には、「元気になってほしい」「その人らしく生きてほしい」・・・。
そんな気持ちがあるからこそ、くじけずに色んな事を考えて、日々ケアを実践していけるのでしょうね。
できたことを仲間に伝え、みんなでできるようになった後、更にその人に合った良い方法をみんなで考える・・・。
チームケアができることも介護という仕事の魅力だと感じました。