急性期の病院に居た頃から、福祉に入って10年程になり、よく考えることがある。
福祉の世界に入ったのは、
福祉でやりたいことがあった訳ではなく本当に単純な理由だった。
毎日毎日モニターやポンプの電子音に囲まれて、
耳にするのは”苦しみの訴え”か”職員同士の業務会話”。
業務をこなす...。バーンアウト寸前だった。
「私は何のために看護師になったのだろう。したかった仕事って何?」
苦しかった。
環境を変えたいと思っていた時に福祉との出会いがあった。
認知症の方との関わりの中で毎日が驚きの連続だった。
自分の常識が通用しない、認知症という疾患は奥深く正解が見つからない。
「退院おめでとうございます」
の先にこんな所があるとは考えたことなかった。
でも、ここには会話の中に”笑い”も”発見”もある。ある時、笑顔で仕事をしている自分に気づいた。きっと看護師を目指し、なりたての時にはこうだったんだろう。
それが慣れや業務に追われだした頃には、
「人」ではなく「病」を見ていたような気がする...。
医療現場では、EBM(根拠に基づいた医療)を重視し、カルテを見て人を見る機会が少ない。
福祉の現場ではNBM(物語や人生に基づいた医療)を重視し、人を見てカルテを見る機会が少ない。そんな傾向ってありますよね。
ケアが上手く行く時は、決まって、どちらも大切にしたその瞬間。そんな気がします。
なごみさんが言われるように、私たちがケアする対象は「人」であることを忘れてはいけないし、そのことを第一に、そして最優先で考えなければいけないと私も思いました。
「病 気」の人 ⇒ 病気の 「人」
「手 術」を受ける人 ⇒ 手術を受ける「人」
「障 害」のある人 ⇒ 障害のある 「人」
「認知症」のある人 ⇒ 認知症のある「人」
「地 域」に住む人 ⇒ 地域に住む 「人」 など
どうしても「人」の周りにあるものを見てしまう傾向がありますが、真ん中にある「人」に対してケアを実践していきたいですね。
ただ、「その人」に合ったケアを実践しようと思うと、「病気」や「障害」、「認知症」など、その人を理解するための専門的な知識をもっていること、そして、それを安全かつ相手に満足して頂けるような形で、プロとしての技術を提供することもまた大切になってきますね。
「正解のない」状況で、
「笑顔で仕事をしている自分」で居られるのはどうしてですか?
正解が無いって難しくないですか?
介護をまだわからないとする方々から、
「介護は非科学的なことが多いから」
と、話されることがあります。
多くの症例の中から見出す科学も大切なことでしょう。ですがこれも、正解を求めるひとつの姿勢ですよね。
「主観を大切にした介護」に魅力と学ぶことがたくさんあります。
中尾根さんコメントありがとうございます。おっしゃる通り「正解のない」状況は苦しいものだと思いますが、自分でも笑顔でいられるのは不思議なくらいです。医療の中での疾患は症状から診断がつき治療法も色々な方向性はあるとしても、決まっていますよね。しかし認知症は、その方の生活歴や背景、なんと言っても介護する側の関わり方で良くも悪くもなると思います。そんな中、私達の思いと入居者様がマッチングして、笑顔で穏やかに過ごされるのを見た時に、何ともいえない嬉しい気持ちになります。それも理由の一つでしょうか。ここで注意している事は「思い込み、思い上がり、思いつき」のケアであってはならないということだと思っています。私達も「根拠ある介護」を目指しています。しかし何とも説明のつかない利用者さんの「いつもと違う」を見ることも大切だと考えます。
なごみさん💕同志参上です😁
私も同じような思いで看護をしてきました。
福祉の世界で学んだ温かい心を、病院の現場に広げていきたいと新たな目標を見つけた私は、今、笑顔です👍
お互いに頑張りましょう🎵