スタッフの一人が、利用者さんと一緒に屋外歩行に出かけて帰ってくると、施設近くの歩道で、男性の高齢者が座り込んでいたと報告してきました。報告したスタッフは、利用者さんと一緒に行動していたので、その場から離れる事ができず、大丈夫かな?と心配しながらも施設に帰ってきたようです。
 私は、途中だった仕事の手を止めて様子を見に行くことにしました。
 施設のすぐ近くの歩道まで出ると、一人の男性高齢者の背中がみえました。右足を10センチメートルほど前に出しては左足を地面に擦りながら右足に近づけ、またそれを繰り返す。上半身をやや右に傾けながら、不安定な歩行で前に進んでいました。
 私は、男性の近くまで駆け寄りました。
 顔を見ると、無造作に伸びた白髪の頭髪や、耳元から顎にかけて伸びる白い髭、そして口のまわりに伸びた白い髭は、数週間は手入れがされていないだろうことが、すぐに見てとれました。身に付けている衣類は汚れていて、特にズボンは、股から両足の裾にかけて、尿による汚染とみられる乾いた跡がいくつもあり、強い尿臭も漂っていました。上着の袖やズボンの裾からのぞく腕や足の皮膚は白い粉がふいていました。もう何日も更衣がされておらず、長期間入浴されていない事もすぐに見当がつきました。
 男性の高齢者に声をかけると、見た目から想像するよりも、しっかりとした返答がありました。いろいろと話をしながら名前と年齢を聞きだし、1キロメートルほど離れた場所から歩いて来た事、すぐ近くにある自宅に向かって歩いているとの事でした。自分で歩いて帰れると言われましたが、さらによく話を聞くと、その方の自宅は、まだ1キロメートルほど先だということがわかりました。
 男性の表情からは疲労の色も見てとれ、とてもこの先1キロメートルもの距離を歩けそうになかったので、一度歩道の横で腰かけてもらい、私は、施設の車を取りに行くことにしました。
 私が施設の車に乗ってその場所に戻ると、男性は歩道の横に座って待っていました。
車を道路脇に停めると、男性の不安定な足腰を支えて、何とか車に乗ってもらいました。車の中は尿臭でいっぱいになり、窓を開けて車を走らせました。
 「まっすぐ行って、次の交差点を左へ。」「突き当りを右に曲がって2軒目の家です。」と、男性の自宅まで正確に案内をして下さいました。自宅までの道案内をしていただきながら、その内容の正確さは不明ですが、いろいろと話を伺う事ができました。日中は一人で住んでいる事。奥さんは、自宅から1.5キロメートルほど離れた所に住んでいて、いつも午前中に会いに来られる事。今日は、奥さんが会いに来られなかったので、奥さんが住んでいるところまで行って確認してきた事。今はその帰りだった事。息子さんが一人いて、関東に住んでおられる事。40年間続けてきた仕事の事など、少しずつ男性のおかれている状況がわかってきました。
 自宅と思われる近くの道路に車を止めて、自宅の前まで手を引いて一緒に歩いて行きました。表札には男性の名前が書かれていました。家の鍵を持っているか確認すると、ズボンのポケットから紐のついた鍵を取り出し、閉めてあった玄関の引き戸を開けられました。家の中に入られる際に見えた入口の様子は、比較的整理されているようで、男性以外の誰かの手が加えられているようでした。男性は、「お世話になりました。ご面倒をおかけしました。ありがとうございました。」と深々と頭を下げてお礼を言って下さいました。
 後日、この地域を所轄する地域包括支援センターに電話連絡をして事情を説明し、一度訪問して頂くようにお願いをしました。翌日には、男性のご自宅に訪問して下さったとの連絡を頂き、その後地域包括支援センターでフォローして下さることになりました。
 あとで考えてみると、男性は、自宅と奥さんのいる場所との往復で、約3キロメートルもの距離を、10センチメートルほどの歩幅で歩いてこられたことになります。どれほどの時間がかかったことでしょう。スタッフがたまたま遭遇し、自宅まで送り届けたあと、地域包括支援センターに繋ぐことができたケースです。
 地域の中には、様々な状況におかれた方たちがたくさん生活されています。介護に携わる施設・スタッフとして、自施設の中だけでなく、その周辺地域にも関心をもち、行政や他の事業所、地域住民の方々と一緒になって、地域の安全で安心した生活に貢献できる、そんな存在でありたいと思いました。




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