みなさんは愛の告白を受けたことがありますか?
私はあります。「大好きです!」と、言ってもらえました。最高の褒め言葉だと自画自賛。そんな愛の告白をくれた利用者さんも、初対面当時。眉間にしわを寄せ不満そうな顔で、私には目も合わせてくれなかったことをよく覚えています。
何が変わっていったのか。
私は保育士の資格を持っています。子どもは無邪気で警戒心が弱いこともしばしば。それでも自分が恐怖を感じると泣いたり、誰かに抱き付いて離れなかったり。でも「好き」とか「ありがとう」と表現をすることがとても上手!なので、コミュニケーションに壁が無い分、打ち解けるのも早いです。
大人になった我々。
まして人生の大先輩である、おじいちゃんおばあちゃんはどうでしょうか?
当時私は入職したばかり。新人としてその方と出会いました。「新人→不安(みなさんも経験ありませんか?)」勿論新人といえども、プロとして仕事をするわけですがそれは理屈。サービスとは、人と人の接点の中に本質があり、そこには理屈では語れない感情が存在する、ことを忘れてはならないと思います。
介護技術の向上にも努めました。学校で学んだこと、新たに獲得する知識も大切ですが、実際に利用者さんの身体に触れて介助することを通じて“人の感情”を学びます。「誰かに身体に触れさせるって不安なんだな」。現場で利用者さんとの接点を増やせば増やすほど、この“心”の大切さに気付かされました。
告白をしてくれた利用者さんも「不満」ではなく「不安」だったのだと思います。私が大切にしていることは「不安」を「安心」に変える介護。それには、専門職としての“技術”と、人としての“心”これがとても大切なのです。どちらが欠けてもいけません。技術だけでも、心だけでも「安心」は生まれません!
入職して9年になる今。
今日も利用者さんとの出会いから学びます。
この触れ方一つ、“技術”と“心”はあるだろうか。
今、私と過ごすこの時間は「安心」を生んでいるだろうか。
「誰かに身体に触れさせるって不安なんだな」このフレーズが印象的です。
レシピ名:「えっ?・・・、ちょっと・・・。(やめてっ!)」
になごみさんがされたコメントには、このように綴られています。
「自分だったら何処まで人に頼れるのか、許すことができるのか」・・・
「排せつ介助してもらう時は、顔を覆い涙が出そうでした。」
いくら技術があっても、心が無ければ”プロの仕業”と呼べないのですね。
心があっても、技術が無いのは”家族”というところでしょうか。
私も看護師ですが、保育園に9年勤めていました。
子供たちからの告白はたくさんいただきましたけど、患者さんや、病院の患者さんからの告白を頂くのは40歳をこえたころからです。
あなたがだいすき。
あなたがいないと淋しいよ。
あなたの声を聞けるだけでがんばろうと思う
うれしいですよね。
わたしがこれ以外に嬉しいのは、いわゆる廃用症候群と言われる方々から、返事をもらったときや認知症が悪化しても、私の名前だけはおぼえてくれていることや、名前は忘れたけど、あなたの声と顔は覚えているといわれたとき。
それが私のパワーの源です💕
ぶん太さんの、利用者さんからの出逢いから、学ぶという気持ちが、ぶん太さんの心を育てているんですね。
私も同じです。よければ、私のレシピも読んでみてください😄
がんばってこられた高齢者のために共にがんばりましょうね👍