寂しさを感じさせるおばあさんが居た。脳梗塞から片麻痺となり、長い距離を移動する時は車イスを使っていた。スタッフに対しても常に謙虚な姿勢で対応して下さる。問題など何一つ無いのだけれど、私はその方のことが気になって仕方がなかった。

「おばあさんのことを知りたい」その想いから接点が増えていった。
声をかけて一言二言交わすことからはじまり、時にはタンスの整理を一緒になってやってみた。コツコツ、ひと手間ひと手間、一瞬一瞬を共にする大切さ。これは、私が大切に心がけていること。

ある日、そのおばあさんが一枚の写真を私に見せてくれた。
それはセピア色の古い写真だった。1人の男性が写ったその写真を大切に、そして少し恥ずかしそうに私に見せる姿はまさに乙女。忘れられない人なのだという。
戦争で亡くしたその方のことを想い続け、おばあさんは結婚をしていない。

甘えられる家族も身内も居ない。お世話になっているスタッフにだって自分が我儘を言おうものなら、いつ見放されるかわからない。いつ、自分が一人になるかわからない。不安。
それが、おばあさんの寂しさだった。

一枚の写真が教えてくれたおばあさんの人生。時代背景から教えてもらえる情報はたくさんある。私は戦争を知らない。そこで大事な人を亡くすということの重みまで理解することはいつまで経っても出来ないだろう。でも、それでいい。みんな各々違うのだから。

ご利用者ひとりひとり、こだわりがある。当たり前のことかもしれないが、これを頭に置いておくことがとても大切なこと。違うから、知ろうとして、わかろうとして、聞くことができる。話しかけることができる。ただの業務なんかじゃない。

違いに興味をもてると、介護は更におもしろい。
マニュアルや業務仕事ばかりでは、その魅力に気づくことができないだろう。だって、違いを見つけることが楽しさなのだから。