やることがダメなのではなく、その環境に疑問を抱くことが大切なのだと思う。
例えば、コンセントを抜いてまわる方が居る。「コンセントを抜いてはダメです!」と言い続け、抜かれたコンセントを指し直してまわるのもひとつのやり方。だけれども、その先に改善が描けるだろうか。ここでいう改善は、利用者さんのQOLについて。
コンセントがささっていない環境を整えられたなら、上手くいきそうだ。はたまた、何故コンセントを抜きたがるのか。コンセントでなくても同じような事をやっている様子(職員が注意したくなりそうなこと)は無いだろうか。そんな原因を突き止めることに興味を持ちたい。

紙という紙を集めてくる人が居た。戦争を経験された勿体ない症の人だった。
なんでもかんでも破いてしまう人が居た。広告や手紙、少しでも情報となるものが残らないようになんでも細かくして捨てるのが癖の人だった。
食器を洗いたがる人が居た。人の為になりたいと思う人だった。

今、この時には必要でなかったり、かえって職員(施設側)にとっては邪魔になってしまうことかもしれない。が、当人にとっては至って真面目。意味のあることで、それを無意味に遮られてしまう、止められてしまうのは、苦痛でありストレスを溜めることになる。

そんな各々が抱く気持ちを読み取りたいと、環境に配慮する。私は、縁の下の力持ち。そんな存在が好ましい性格である。人前に出たり、積極的にコミュニケーションをとるのが得意ではない。事実、中学生の頃。一週間誰とも話をしなくても全くストレスが溜まらなかった。(多くの人は、3日も経たないうちにストレス状況の限界を迎えるそうだ)だからこそ、人のやっていることを辛抱強く、注意深く見届けたり見守ったりすることは私の得意である。得た情報を分析して、行動に活かすことが好きだ。

元来、人の喜ぶことをすることが好きだ。それはたとえ褒められなくても、私がしたことと認識されなくてもいい。間接的にでも、誰かに喜んでもらえる、そんなことを好んでやっている。