施設の廊下を毎日、何十回も行き来する認知症のAさん。
何だか不安そうに見えるというスタッフ。
歩き回らずに座っててほしいと願うスタッフ。
歩いている時のほうが落ち着いているように見えるというスタッフ。
スタッフの意見も様々。
いざ、認知症ケア会議に介入し、一緒にひも解いてみると、
「地元の病院の看護婦長」の経験の持ち主だった。
歩く理由が分かった(徘徊ではなく、巡視のつもりでは?)。
このAさんの人生歴を活かし、看護職らしい役割を見つけて、
小さな役割を見つけ対応することを提案した。
(洗濯物たたみや換気の補助、掲示物の貼り換えや、部屋の植物の世話、外の見回り等)
数日後、Aさんのその後の様子を見て、私は猛省した。
現場スタッフは思わぬ支援をしていた・・・。
「婦長、婦長、こっちにいいですか?」
「婦長、座っててください。」
「婦長、あっちに行きましょう。」
人生史を活かすようにと伝えたが、活かし方を明らかに勘違いしていた・・・。
スタッフに、なぜ、Aさんの名前ではなく、婦長という役職名を呼ぶのかを尋ねると、
「婦長と呼ぶと、反応してくれるから」というストレートな答えが返ってきた。
私はスタッフに再度、真意を伝え、Aさんに謝った。
Aさんは名前と役職名で呼ばれ、現在と過去を何度も往復したことだろう。
ごめんなさい。Aさん。
人生史をひも解くことは、好ましい認知症ケアへの近道といっても過言ではないでしょう。私は、本人の残存能力を見極め、人生経験の匠(たくみ)な部分に光を当て、社会的な役割を獲得することを大切にしています。と言いながらも今回のレシピは、言葉不足な私の失敗談でした。
普段の生活の中で、時と場合と役割でいろんな呼ばれ方をしています。
自分が認知症になった時は、どうなのかしらと考えました。
読みやすそうな自分史をブログや日記から寄せ集めて作っていこうと思いました。
将来、どなたかにお世話になる事がありますし。
楽しい内容が、良いですよね。
読んで頂く方、そして自分のためにも(^^)
笑って過ごしたいですもの。