『かいごプロフェッショナル』第7弾は、
社会福祉法人中心会(神奈川県海老名市)
介護福祉士 増田好恵さん

単純な理由ではじめた介護の仕事

介護の仕事を始めたきっかけは、おばあちゃん子だった私が上京して来て祖父母から離れた寂しさからだった。自分にとって暖かくて色んな事を教えてくれる存在である祖父母のような方々と接する仕事がしたい、そんな単純な理由だった。
はじめた当時は「人の役に立つ仕事、できないことを手伝ってあげる仕事」という考えが強かった。ご利用者を見る時も、まずは身体状況の「できないこと」「できること」を見ていた。そこには、その人が何をしたいのか、何を望むのか、どんな生活をしてきて今があるのか、という事を知ろうとする考えは少なかったように思う。

過酷すぎて辞めようとした時

配属された認知症専門施設は、初心者の私にとって過酷だった。
できないことを手伝ってあげようと手を差し伸べても、振り払われてしまう。歩いてもらえない。突然の平手打ち。食事がひっくり返る。寝てくれない。そこには、ご利用者一人一人の気持ちを汲み取ろうとする行動は無く、ただ身体介護(食事・排泄・入浴)をやらなくちゃ、という自分自身の都合ばかりを求めていた日々だった。
苦戦し、叩かれる事に恐怖を覚え、辞めようとした時。上司から「もっと勉強しなさい。なぜ叩いてしまうのか、その行為だけを見るのではなく、その人を知ろうとしなさい。その人の気持ちを考えようとしなさい。女優になりなさい。」と言われたことは、もう8年も前なのに鮮明に覚えている。

相手の価値観や気持ちを一番に

その頃、夜勤入りの日に大きな失敗をして上司や先輩職員にこっぴどく叱られ、落ち込み、嫌な気持ちで仕事に就いた日があった。ある女性ご利用者に「何かあったの?暗い顔して。悲しいの?大丈夫。」と言って背中を擦ってもらった。暖かくて優しかった。
でも、その手首には家庭で家族に縛られていると思われる跡があった。紐で結われていたのだろう。紫色に線がついたその手は痛々しく、見るからに冷たく感じた。でも、私の背中を擦るその手は、暖かかった
家で辛い思いをしていて、施設に来ても「追い出された」と思っていたのだと思う。いつも職員の手首を強い力で握りしめ「行かないで、行かないで。」と言われていた。夜もほとんど眠れずに過ごしていた。その日のその瞬間まで、私はその人の事を「大変な人」と思っていた。特に夜勤が来ると、今日は寝てくれるかな。と寝て欲しいという事ばかり考えていた。でも、その時にその方の手の暖かさや、私の心を読み取って感じてくださったことに対して、自分の事を分かってくれていると思った、あの時の気持ちは忘れられない出来事だった。
その時、気付かせてもらえた事。相手の気持ちを感じる事。何を思っているのか、何が苦痛なのか、不自由なのか、何を望むのか、心で感じようとする事。自分の感情や価値観を押さえつけるのではなく、相手の価値観や気持ちを一番に考え合せようとすることの大切さ。あの時の経験は私にとって大きなものだったと振り返る。

この仕事を続けていこう、やっていていいんだ

私は、このご利用者に、もう一度支えてもらった事がある。
同じように夜勤入りの日。ミーティングが始まる前に、実家から電話が入った。嫌な予感がした。
2週間くらい前に実家に帰ったのは、癌が見つかり転移して食事もとれなくなり、言葉も発せない状態にまでなった祖母に会いに行くためだった。変わり果てた姿を見て、悲しくて近くに居てあげたいと思った。母が、少しだけと言って祖母の大好きだった紫蘇(シソ)のジュースを氷にしたものを口に含ませてあげていた。「これだけは咽ず(むせず)に少し舐められるんだよ。」と。最期まで好きだったものを楽しめる味覚は残っているんだと感じた。紫蘇(シソ)のいい匂いがして、祖母が作ってくれたジュースを思い出した。思わず母と一緒に嬉しくて泣いた記憶がある。

癌が発覚する前に、軽度の認知症になった祖母は私の事が分からなくなっていた。その日も、分かっていないんだろうなと感じられる様子だった。悲しかったけど、一生懸命話しかけて、手を握って、背中を擦った。痩せ細った体だったけれど、温かかった。相変わらず、農業を営んできたその手は骨太でごつごつしていた。
帰ろうとして部屋を出る時に、祖母が少し言葉を発して片手をあげて手を振った。母が驚いていた。「私にはこんな風にした事無いのに。わかったのね。」と泣いていた。肌に触れて、目で見て感じて、心が通じ合ったのだと思った。また、会えると思ったけれど、それが最期だった。

電話を受けた時、祖母が亡くなったことを信じられなくて。夜勤なんてとてもできないと思った。泣いて泣いて、当時の課長を困らせたと思う。でも、やらなくてはと思い、夜勤に入った。少し落ち着いてきたときに、ふっと我に返ると祖母の顏が浮かんで悲しくなった。そんな時、あの女性のご利用者に「何があったの?」と心配してもらった。
涙を流しながら祖母の事を話した。すると「おばあちゃんは、近くで見ているよ。頑張っているのを見ているよ。だから寂しくないよ。私はあなたが居てくれるから安心して眠れるよ。」と言ってすーっと眠り、朝までぐっすり眠っていた。祖母の事で悲しかったけれど、安心して眠ることができた事が嬉しく思えた。私は、この仕事を続けていこう、やっていていいんだ、と思えた

「五感」を大切にする事

祖母の看取り期に入った時に学んだ経験で、大切にしている介護観。それは「五感」を大切にする事。人間は死に至る最期の瞬間まで「視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚」を持っている。祖母もそうだった。病気の症状で脳が正常に動かず、頭では理解できていないのに、五感を使って心で感じていた。人間の持つ本能は、死の直前まで使って生きている。たとえ話すことができなくても、聞こえている。感じている。だからこそ、話しかけていく。しつこいくらい話をして、思いが伝わったんだ、というやりがいにも繋がる。表情を見て苦痛そうだったりしないか。寝てる時間が長い方に少し背中を擦らせてもらうことで、どこか表情が和らいだりすると、自分もホッとする。
一瞬一瞬。些細なことかもしれないけれど相手にとってはすごく心地良い時間になっているかもしれない、そんな風に思うと「五感」を大切にした関わりはいつも頭においていたいと考えている。

介護という仕事は、人の心身に触れ、誰よりも近くでその方と関わりを持つ。だからこそ、その人の想いや変化に気が付かなければならない。むしろ、そこに関わる事ができる、本当に深い仕事だと思っている。決して身体の介護をするだけではない。できない事を手伝うだけが介護ではないと考えている。心身の介護。心という言葉の持つ意味を大切にしたい。身体介護のスキルを持つことも当たり前に必要。けれども、感性を高める事はもっと重要だと考えている。私がまだ経験が浅い時に、ご利用者に教えてもらった時のように、どうしたんだろう、何を思っているんだろう。と興味関心を抱いてその人を知りたいと思う事自分の価値観で相手を見るのではなく、相手の価値観を知ろうとする事。この事も、私が大切にしている介護観である。

「介護」という2文字の持つ意味はとても深く、経験を通じながら教えてもらい、自分の価値観も広がり続ける。私はまだまだ未熟で足りないことばかりだが、この仕事が出来ていることに、誇りを持てるよう努力したい。

増田さんありがとうございました!
増田さんが所属する中心会さん、ご協力ありがとうございました!

社会福祉法人 中心会

~大きな皿もその中心を支えれば、指一本で宙に安定させることができる。人間の社会もそれと同じように、たとえ小さな力でも、中心が分かれば平和と安定をもたらすことができる。~
支えを必要としている人々の中心である、この考え方こそ中心会の由来です。