大学病院(NICU所属)に勤めた後、今は障がい者支援施設で働く看護師は病院と施設の違いを「強制」という言葉で教えてくれた。

病院に来る方々の目的は、治療をすること。安全にそして適切に治療を行なうために看護師は役割を果たす。
一方、施設に来る方々の目的は、生活をすること。その人がどんな生活を送りたいのか、何をしたいのかを明らかにしたうえで1人でし難くなったことを支援する。

”治療”のことは、看護師のほうがよくわかっている。でも、”生活”は当事者にしかわからない。思いがあってこその生活に「強制」などできっこないというのだ。

〜なるほど生活に強制は無い〜

施設側の業務(都合)によって利用する方の生活が制限されるようなことはあってはならない。望みをかき消すような言動を許してはならない。その通りだと思った。

以前、仲間の熱~い理学療法士が話した事を思い出した。
「利用者さんがワガママを言ってくれたことがなにより嬉しかった。」
本来なら誰の世話にもなりたくない、迷惑をかけたくないと肩身の狭い思いをしている方はガマンをしている。それを解きほぐしながら、自分の思いを表出できるまで互いの関係を深め合うことがまずは大事なんだと言っていた。

そこが違い!だった。相手の思いなんて面倒くさいと感じることだってあるだろう、それはたぶん難しいことだからだと思う。専門性という技術を施すことの難しさよりも、どうやって相手の思いに応えるかのほうがよっぽど難しいと感じている専門職がたくさん居る。だから彼らの悩みは日々尽きないのだ。

生活の質(クオリティ・オブ・ライフ:QOL)を高めようと近頃よく耳にする。どうしたら質は高まるのだろうか。
思いがあってこその生活を支えてくれる専門職の存在を頼りにしたい。