三陸の被災地では、避難所や福祉施設での介護スタッフ不足の状態が見られた。震災当初、厚生労働省がこうした状況を好転させるため介護スタッフの派遣を求めた。

すると全国の介護施設の職員8000人が応募した。しかし「現地の要望が把握できていない」として、派遣がスムースに実施できなかった。この背景には、被災地側の言い分がある。「被災地に施設職員の支援に入りたいとの申し入れが数多くあったが、しかし、支援に入るといわれても、利用者との関係が慣れていない中での仕事のバトンタッチは非常に難しく、こうした支援は具体的には無理だ」ということであった。

このような実情から、派遣は具体的には部分的なものとなった。被災地での医療や介護にあたっている専門家は、おおぜいの介護スタッフが震災直後、被災地に入っても高齢者を十分に支えることはできないと口を揃えて話していた。上下水道が止まり、交通手段も物資も不足する被災地では、介護のプロでもできることが限られるからであるという。

被災地の行政や介護の専門家は、これ以上犠牲者を増やさないためには、一時的な緊急措置として被災地の外に高齢者が移ってもらうしかないと指摘していた。そのため全国の高齢者施設が受け入れの名乗りを上げ、3万人分のめどがついていた。これに加え、政府は民間のホテルや旅館を借り上げて被災者を受け入れることを決め、秋田、山形に3万人を受け入れる準備を進めていた。

高齢者をはじめ介護が必要な人を優先的に受け入れ、そこに全国からの介護スタッフやボランティアにも来てもらい、支える体制をつくることも考えた。しかし、多くの高齢者がふるさとを離れることをためらい具体的に移動した人は少なかった。