これは、家族や親せきの介護を経験したことのある方や、現在介護をしているといった方には、誰しもが身近に感じることではないでしょうか。

介護に疲れてしまう、という現実。

介護を必要とする家族を、家族だからこそ自分達が最期まで関わりたい、しなくてはいけない。という想い。また介護を必要としている本人が、介護サービスを受けたくない、他人の世話になるなんてとんでもない。と、サービスそのものを拒否されるケースなど、様々だと思います。
自分達だけでなんとかしよう、と頑張り過ぎてしまうと「介護に疲れてしまう」事態に陥ってしまうことは珍しくありません。

私自身、要介護4の認定を受けた祖父がいます。
自宅のベランダから見える大学の乗馬クラブの景色が大好きで、自宅に居る時は必ず乗馬の様子が見えるベストポジションに車椅子を移動させ、一日中眺めては、歌を歌ったりして過ごしています。ここだけを紹介すると、非常に穏やかな暮らしのように感じられるかもしれませんが、現実はそうではありません。主に祖父の介護をしているのは祖母で、現在2人暮らし。その為、祖父をベッドに寝かせることや、おむつの交換、食事の準備、着替え、体の清拭など、全て祖母がやらなくてはならない。それは大変厳しい現実と向き合わなければなりませんでした。
家族、親せきとも相談し、自宅が大好きな祖父のためにも、なるべく自分達が祖父母の自宅を訪れ、祖母の負担を軽減していこうと、連絡を密に取り合い、在宅生活を続けています。なにしろ、祖父は他人の世話になるのは絶対に嫌だと、介護サービスの一切を必要ないと切り捨てた人だったので、一人で背負いこむことになった祖母は身体的にも精神的にも負担が大きかったのでした。

普段は温厚な2人ですが、毎日顔を合わせているわけですから、当然些細なことで喧嘩になる事もあります。そんな時、祖母から「またじいちゃんと喧嘩しちゃった」と電話があるのですが、話を聞いてみるときっかけは些細な事「大根の味噌汁が食べたかったのに、大根が無かった。」ことが原因でした。80歳を超えた祖母はだいぶ足が悪くなり、近所のスーパーに大根を買いに行く事は容易ではなく、すぐに買い物に付き添える家族も近くには住んでいません。祖父に「大根無いから、豆腐とわかめにして」と言ったところ、祖父は激怒し大暴れした(祖母曰く)とのこと。この時祖母は、“今までにない感情を抱いてしまった”と後日私に打ち明けてくれました。「本当に憎たらしくなってしまった」と。そして、「こういうことの積み重ねが、ニュースにでる悲しい事件になってしまうんだろうね。」とも。

普段であれば、祖父も大根にそこまで執着することなく、「それじゃあ仕方ない。ばあちゃんも大変だから豆腐とわかめで良いよ。」と気遣える人で、祖母も「明日は大根の味噌汁にしましょうね。」と思い遣れる優しい人なのに、その時、その瞬間、うまくいかなかった。
孫の私が介護の職に就き、祖父母と接していると、祖父の「介護サービス一切お断り」の気落ちが少しずつ和らいできました。祖父は、介護職をしている人が信用ならないと話します。時折ニュースで見る介護に纏わる酷い事件を知っているからなのです。

そんな人たちばかりじゃない。

私が働いているところは、そんな酷いところではないよ。もしもじいちゃんの手が悪くなり、動かなくなってしまったとしても、不自由なことの無いように手の代わりになってくれる人達が待っているよ。そのことを大変だなんて思う人はいないからね。
と、長い時間をかけて伝えてきました。

今ではケアマネさんとも笑顔で会話し、介護サービスを受けることに対しても以前のような拒絶する言動はなくなりました。そのことが、祖母にとっても安心して在宅生活を送っていけることに繋がっているのです。

介護に疲れてしまう という現実と向き合わなければならなくなってしまうその前に、私達の介護という仕事がどれだけみなさんの生活に密着しているのか、助けとなれるのかということを、地域のみなさんから全国へ、そして世界へ向けて伝え、知ってもらいたい。どうしたら伝えていけるのか、私達の思いを知ってもらえるのか、頼ってもらえるのか。

怖いことや悲しい事件がニュースで流れるたびに、介護職という仕事をしている私達のイメージが悪くなってしまうのかもしれないけれど、そうではないのだということを発信していかなければならない。

私達は立ち止まり、ただ待っているだけでは駄目なのだと強く思います。