病院や施設からこっそり抜け出そうとする方っていらっしゃいませんか?
見つかっては説得され、仕方なく部屋に戻るAさん(軽度認知障害)。
タイミングを見計らい、玄関からこっそり抜けていくこともあります。
「Aさんの離設行為や離園行為に注意し、所在確認をしましょう!」
「Aさんを出入り口付近で見つけたら、部屋に誘導しましょう!」
「Aさんのためにセンサーマットやタッチ式半自動ドアを設置しましょう!」
これでは、いつまで経っても、解決しませんよね・・・。
皆さんは、どんな時に部屋から出たくなりますか?
①何か用事を思い出した時
(例:仕事や用事、トイレ、探し物など)
②その環境を不快に感じた時
(例:明るさ、温度、湿度、騒音、匂い、不潔など)
③その空間にいる人との関わりを不快に感じた時
(例:人数、関わる頻度、対応方法、相手の態度、マンネリ化など)
④自己の興味・関心が、その空間に向かないとき
(例:やりたいことができない、一方的な規則の押しつけに対する不満)
部屋から出たくないと思うその瞬間・・・きっとそこには、
本人が落ち着かない、落ち着けない理由があるはずです。
自分が時間を忘れ、集中できる活動や、くつろげる空間がある。
これこそ唯一の「離設・離園行為」の対処方法でしょう。
「離設・離園行為」が頻回にみられる認知症のAさんが問題なのではなく、
「離設・離園行為」させている私たちスタッフ自身が問題なのです。
人のせいにする前に、できることを探してほしい。
そんな願いで書きました。
今日のAさんは、戦時中に陸軍将校から教わった「将棋」で、
満足そうにゆったり過ごしています。
Aさんの、にんまり。とても素敵です。
「離設・離園行為」は、そもそも問題行動なのでしょうか。
住み慣れた家や地域に、そして慣れ親しんだ、信頼できる家族のもとに帰りたいと思う気持ちは、誰もが持っていて当然の希望です。
考え方によっては、正常な行動ととらえる事もできるのではないでしょうか。
しかし、様々な条件によって、その希望が叶えられない方が多くいらっしゃいます。
表面的には見えない事も多いのですが、人は誰しも安全欲求や社会的欲求といった基本的な欲求を持っているという事を、私達ケアスタッフは理解しておかなければなりません。
そのような基本的な理解があってこそ、対象が必要としているケアが見えてくるのだと思っています。
スタッフから、『いろいろ工夫しても、離設行為はなくなりません。どうしたらいいんですか!』と言われたことがあります。
しかし、いろいろ工夫しても、離設・離園行為が100%なくなることはないでしょう。
時間を忘れ、集中できる活動やくつろげる空間を提供することで、10回の離設・離園行為が9回になれば、とても喜ばしいことだと思いませんか?たった1回分かもしれませんが、その方の不安で落ち着かない時間が減り、わずかではありますが、その人らしい時間が増えたことになるのですから。
離設・離園行為がなくなった時、それはその人にとって、真の意味で居心地の良い場所になったのか、希望は持ちつつ自分のおかれた状況を受け入れたのか、はたまた、あきらめの境地に入って自分を表現しなくなってしまったのか・・・。
間違っても、後者のようになってしまうケアだけは避けなければいけないと思っています。
先日、他施設の介護職員さんが「新しい管理者が、センサーマットを全撤去するって言うんですよー。どうやって見守ればいいって言うんですかねー」と愚痴られまして^ ^
ずっと見てる事は出来ないけど、その人が何時頃出たいのか、どうして出たいのかを知ることはできるかもねーと答えたら、
「あ…そういうことだったんだ…」と。
自分達の困りごとを見ずに、その人の気持ちを推し量れば、心地良い居場所や集中できる活動や安心感につながるんだと、その介護士さんは、気付いてくれたようでした。
なかなか感の良い介護士さんで嬉しかったです^ ^
介護職員不足で身体拘束虐待というニュースが流れていました。
ケアや活動や視点の根本を変えることで、介護職員不足にも対応しないといけない時期がやってきてると考えます。
自宅からだって「お出かけ」してました。
その思いがけぬお出かけに、どれだけ家族は心配した事か。。でも、帰ってきてスッキリしたような本人の顔は、こちらの心配の代償だったように思います。
自分が、緊急手術で入院した事があります。思いもよらず、びっくりでした。
痛くて辛い時は病室が安心でした。看護師さんは優しいし、助けてもらわないとできない事があったからです。病気の事も説明してくれるので、納得していたと思います。
自分がベッドから離れようとするのは何故かというと、まず、本人が元気になったからだと思いますが。
ワケもちゃんとあるはず。
病態による認知障害があっても、そうでなくても生きていると基本的な欲求がある。…そう習ってきたんですがね。
改めて、問題行動って誰にとってなのかと考えました。