4月16日午前1時26分。
10分前に夜勤の休憩に入り、靴を脱いでソファーに横になった瞬間だった。

ギシギシギシギシ…ん?揺れてる!
バリバリバリバリ…ん?止まらない!

うわっ~!私の上に五段棚がふってきた。
ガシャン!ゴゴ~!次々にふってくる本や家具を足で受け取りながらただごとではないことを察した。

「主任~!主任~!」と私を呼ぶ若い看護師の声。

行かなきゃ!と、必死に落ちてきた家具の中から脱出。行こうと思った時、東北の震災を経験した看護師の話を思い出した。
どんなに、慌てていても、急いでいても靴だけは、忘れたらいけない!

グシャグシャになっている家具の中から、靴を引っ張り出す。

すざましい状態だった。

廊下から煙。病室のドアは開けていたのに閉まっている。開かない。
ひと部屋開けてみて、背筋が凍った。

ベッドが部屋の真ん中まで動いていて、チェスとは引き出しがでていたり、倒れていたり…
その中に患者さんが寝ている。
みんな恐怖でかたまっていた。

全員のケガがないことと、建物のどこが安全かを確認し、夜勤スタッフに指示をだす。
"全員をDルームへ。必ず靴を履かせて。"
私がいる病棟は回復期リハビリテーション病棟。脳血管疾患や、骨折後の患者さんが60名。同じフロアに別の病棟があって、三階フロアは約90名くらいの患者がいた。夜勤者は三階だけで、6名。しかもこの日は、全員女性。

患者を1ヶ所にまとめるのも、頻回に起きる余震の恐怖と落下物がたくさんあって、中々うまくいかない。
だいたい部屋からだしたころ、若いリハビリスタッフがひとり、ふたりと駆けつけてきた。
それぞれが、自分の担当患者によりそう。

外への避難命令がでた。

リハビリスタッフがいてくれることにより、階段を自分で降りれるかどうかという情報が正確にはいってくる。
患者さんにも"いつも練習している階段を降りますよ"とか、"階段まで歩いてくれたらあとは僕が背負いますからね"と安心させるために精一杯の声かけをしてくれている。
私たち看護師と介護士は、全身状態のチェックや外に運び出す布団や毛布の準備をする。
患者のADLがわからない!と言うと、担当者からアドバイスが飛ぶ。

半分くらい避難が終わり、後は担架で運ぶ人だけになってきた。だけど、こちらの疲労もピーク。
くじけそうになったとき、来てくれたのが地域の若い男性10数人…
"重い人は僕たちにまかせてください。"
"病状を教えて下さい""この人のお名前は?"
私から状態を聞き、外で受け入れている看護師に伝える。

夜勤者、リハビリスタッフ、地域の人たち。一瞬にしてできあがった素晴らしいチームワーク。

どうにか全員避難させ、朝を迎え、続々とスタッフが増えてくる。

患者さんの状況を聞き、トリアージしていく医師と、リーダー看護師。
トリアージされた患者が早く建物のの中に入れるように。また、地域から避難してこられる高齢者を保護できるようにてきぱきと指示をだす、地域連携室のスタッフ。
寒いからと、驚くくらい早くあったかいお味噌汁と、おにぎりを出してくれた栄養課。
飲み込みの訓練中の患者の横にはSTがよりそう。

建物の安全が確認され、かたづけが終わるまでの3泊。
床の上にマトレスをしき、布団をきて休んでもらった。

震災連絡網で、情報をやりとりする。
⚪⚪のところが人手がたりません。
義歯がまだ病院の中です。
おむつ交換はできてるけど、リハパンツが交換できてません。
床からのたちあがりで、患者の腰や膝に負担がかかっています。
口腔ケアが不十分ですなどなど。

情報を発信すると、セラピストが対処してくれます。
書き出すことができないくらい、本当の意味の他職種共同を体験しました。

震災はまだまだ続いていますが、いざというとき、施設、職種を越えて連携し、乗り越えていく力をもっている私たちは、きっと乗り越えて行けると思います。

東北の震災を経験した看護師の話を聞いていてよかったと思いますし、机の上ではなく、現場で見せていただいた他職種共同の素晴らしさ。
一生わすれません。

震災に負けずに明るくがんばります。