「気持ちのいい散歩だったよ。ありがとうねー。」
 その声の調子で、その日の散歩が、彼女にとって心地の良いものだったかどうかがわかる。同行したスタッフの表情もまた晴れやかだ。
 彼女の日課は、スタッフに車椅子を押してもらって、施設の周辺を散歩することである。
 そんな彼女は、時に違った表情で散歩から帰ってくる。
 「ここはどこー?どこに連れて来たのー?」
 不安そうな大きな声が響きわたり、困惑したスタッフの対応が、さらに彼女を不安にさせてしまう。
 80歳を過ぎた彼女は、認知症を患ったうえに視力を失い、難聴もあって音や声が聞き取りづらい。
 彼女は、どうして違った表情を見せるのか。散歩中のスタッフの対応を比べてみると、その違いに氣づく。
 彼女が、心地の良い表情を見せた時のスタッフの対応は次のようであった。
 「そうなんですね。」
 「そのあと、どうされたんですか。」
 「がんばってこられたんですね。」
 スタッフは、彼女のこれまでの経験を引き出し、一つひとつ認めるように語りかけていた。
 「しばらくすると花壇があって、黄色や赤のパンジーが咲いていますよ。」
 「公園で子ども達が元気に遊んでいますよ。」
 「今から坂を下るので氣をつけて下さいね。」
 「あと5分ほど散歩をしたら帰りましょうか。」
 スタッフは、彼女にこれから起こる事や経験するであろう事を、前もって丁寧に伝えていた。それは、とても自然でしなやかな対応であった。
 彼女が心地の良い表情を見せたのは、散歩に出かけるといった行動によるものではない。散歩中のスタッフとの関わりが、心地の良い表情をつくったのだ。
 人は、過去の経験を他者に認められることで、自らを肯定的に捉え受容することができる。そして、これからの自分の姿や進むべき方向がイメージできた時、将来に対する安心感が生まれる。
 ・過去の様々な経験を振り返り、自らを受容する過程
 ・将来、自らに起こりうる状況やゴールをイメージし安心できる過程
 ・過去の受容と将来への安心から、今を安定的に生きる過程
 私たちは、対象の過去と未来に働きかけ、安定した現在を保証する、そんなケア実践者でありたい。
 毎日の日課である散歩が、彼女にとって心地の良い時間となるようにしたい。