リハビリテーションとは、(WHO ,1981)
リハビリテ-ションは、能力障害や社会的不利の状態の影響を減らすことと、能力障害や社会的不利をこうむっている人達の、社会的統合を実現することを目的とするあらゆる手段を含む。リハビリテ-ションは、能力障害や社会的不利を持った人達を、環境に適合するように訓練するばかりではなく、障害を持った人達の社会的統合を促すために、身近な環境や社会において間をとりもつことをも含んでいる。
これを20分「リハビリの時間」でどう実現しようかと考えるのです。
勿論これは極端な話。機能訓練も重要な要素の一つです。。がしかし、リハビリテーションを機能訓練そのものと捉えてはいないでしょうか。20分を過ごすと、その人にとって身近な環境や社会において間をとりもつこと、を実現させるでしょうか?
「常識を疑い、非常識を楽しむ」
私は理学療法士。
大切にしている考え方は、「利用者本位」つまり、“私のやりたい事”を実現させることです。実現させるために、理学療法士の視点も活かしながら何をすればよいかを考えます。しかし、利用者本位を叶えるために一番重要なのは、その人の気持ち、考え方、常識、に触れること。「こういう考え方もあるのか!?」自分の中には無い、自分にとっての非常識を楽しむのです。
当施設では、利用者さんに“企画書”を書いてもらいます。「やりたい事」は、我々がやりたい事ではない。主体は利用者さんなのに、何故我々が企画書を書くのか。だから、ご自分達で書いてもらうのです。
非常識で面白い企画が満載!!企画書を元に我々スタッフが会議を開きます。その実現に際して、安全と安心の環境を整えるのが我々であり、介護に携わる各職種プロの腕の見せ所だと考えるのです。
安全と安心の環境は、自分達の常識の範囲でしかつくれないか?
そんな、つまらない仕事。私はしません!
自分の中にない考え方を楽しむ❗
自分にとっての非常識を楽しむ❗
私も言葉にするとそんな感じで仕事をしていましたね~😄老健時代👍
今は病院に勤務しているので、あまり、自分らしく仕事ができていませんが、患者さんのやりたいことを叶えようとするリハビリスタッフの支えになれるよう、心がけています☺
それと、看護学生が企画してきた、「お~そんな発想もあるな🎵」というのを、どんどん実行させています👍
そんなときは、仕事が楽しくって仕方ありません。
なぜって?そこに患者さんの笑顔があるからです😆
次回の投稿も楽しみにしています👍
今から夜勤です😆心の元気をありがとうございます。
生活期であるからこそ、セオリーのない活動を提供したいと考えてます。
日々押し寄せてくる皆さんの希望と向き合いながら(笑)
こちらの常識に当てはめてしまうと、その方の常識にはハマらないと考えています。それだとご本人の満足には繋がらないのかなぁなんて思っています。
私もその意見に賛成です👍
生活期ですものね。本人がやりたいことが真ん中です🎵
まぁ、基本的なマニュアルはひつようでしょうけと,マニュアル人間にだけはなりたくないな。
患者さんの声を聞き、表情を見て、一緒に歩んでいきます😄
私は看護師で、リハビリの専門職ではありませんが、レシピを拝読させて頂いて『リハビリ』について考えてみました。
日頃、目にするリハビリスタッフの仕事の様子や、リハビリをされている利用者の方々の様子から、その人らしい生活を取り戻すために、リハビリはなくてはならないものだと感じています。
利用者の思いを実現できるようにする、そのために、リハビリスタッフのみならず、多職種が知恵を出し合う、とても素晴らしいことだと思いました。職員側の都合で、諦めてしまっていることって沢山ありますからね。
私が気になるのは、自分の思いを表現できない方々です。
様々な状況があって、本当の思いを表現されない方や、病気によって表現することすらできない方などの思いをどれだけ汲み取れるか。
私達スタッフが立案する企画書やプランには、ご本人に代わって、そのような思いが表現されていなければならないと思っています。
今、目の前にいらっしゃる利用者の姿だけでなく、今までのその方の生き様や、これから起こりうるであろう、その方の将来の事をもイメージして、利用者お一人おひとりの思いを形にできるようにしていければと思っています。
コメントありがとうございます!
日々「リハビリ」という言葉について考えています。実はわたくし、世間一般で使われているこの言葉が好きではありません。どうも言葉が一人歩きしている気がして。
各利用者が思い描く目標に向かって、スタッフがリハビリテーションという概念のもと専門性を活かしながら協力してサポートする。
そんなイメージが良いなと思っています。
うちの施設では、表現できる利用者の願いを叶えるのは当たり前。表現できない人たちの声を聴いて、拾って叶えていくことが大事だと伝えています。
自分だけが知ってる利用者の願いを教えてもらえた時はたまらないです♪
けあぴを通じて、日頃の活動や色々な考え方を交流することができ、とても感謝しています。
惣卜さんは、看取り期にある利用者の方へのリハビリテーション、いわゆる終末期リハビリテーションについて、どのようなお考えをお持ちですか。
当施設では、昨年度一年で30名の方々を看取らせて頂きました。ここ数年、積極的な治療や処置は希望せず、自然な経過による最期を迎えたいと、希望されるご家族が増えてきたように思います。
看護師の立場から言えば、どのような状況であっても、人が居るところには必ず看護があるように、リハビリテーションもまた人が居るところにおいては、常に大切な役割があると考えます。看護やリハビリテーションのみならず、ヘルスケア全体に共通する事かもしれませんが。
お恥ずかしい話ですが、当施設では、看取り期におけるリハビリテーションが、積極的に行われているとは言えません。
一般的にリハビリテーションと言えば、機能を取り戻す、元気になる、維持するといったイメージがあります。
しかし、回復の見込みがない方へのリハビリテーションについてどのように捉えるのか?WHOの定義に当てはめて考えてみるとどのように理解すればいいのか?
リハビリテーションの専門職のお立場から、ご教示頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
コメントありがとうございます。
自分もこのサイトを通じて、考えを伝え合うことができて感謝しています。
終末期、難しいですね。私は通所専門なのであまり直接関わることはないですが、うちの施設も看取りが増えています。同様に延命治療を望まない家族が増えている印象を受けています。
通所においても、人生の最期を自宅で迎えたいと言う方の利用が増えてきています。
私はリハビリテーション専門職から離れてしまっているので大したことは言えませんが…自分が今の考えに行き着いた大本となる話を少し。
老健に異動してすぐ担当になった末期癌の方がいました。私は病院から異動してきて間もなかったので、その方の機能的なアプローチをしようにもどう持っていって良いかわからず悩んでいました。ある日その方から「あなたの手でマッサージをしてもらうのが一番気持ちが良い」「こうやってあなたと話しながらマッサージしてもらう事が楽しみでここに来ています。」と言ってもらえた時、自分がその方の最期に少しだけ役に立てた気がしました。
その方はお酒をこよなく愛していて「惣卜さんと一緒に酒が飲みたい」とよく言ってくれていました。まだ経験の浅い私はそれを実現する術を考えられずに結局実現する事なくその方は逝ってしまいました。これはこれからも一生消える事のない後悔の一つです。
人生の最期はそれぞれ一人ずつ違い、考え方も違うと思います。
チームアプローチとしての終末期を考えるとすれば、専門職がどれだけ「ダメ」「危ない」「無理」などと言わずにその方に寄り添えるか。なのではないかと思っています。
答えになっているでしょうか。
長文失礼しました。
これからも学ばせてください。
早速、お返事をいただいてありがとうございます。
すごくいいお話をお聞かせいただいて感謝します。読ませていただきながら、涙があふれそうになりました。
惣卜さん、“一生消える事のない後悔の一つ”なんて思わなくていいんじゃないでしょうか。
こんなことを言える立場ではありませんし、お気にさわるようなことがあればお許しください。
きっとこの方は、惣卜さんの施すマッサージが、本当に気持ち良かったんでしょうね。
惣卜さんとお話しながら、その手の温もりを感じることが、その時のこの方にとっては、この上なく幸せを感じることができた瞬間だったに違いありません。
そんな二人で過ごした時間や想い出を、ずっと残しておきたい・・・
異動してきたばかりの惣卜さんに、リハビリテーション専門職としてずっと頑張っていてほしい・・・
そんな気持ちを込めて、この方が送って下さったメッセージが「惣卜さんと一緒に酒が飲みたい」だったんでしょうね。
現に、ずっとこの方とのエピソードが、惣卜さんの心の中で生き続けていますし、いつも「利用者本位」で仕事をされている惣卜さんがいらっしゃいます。
こんな話の流れの中で、とても不謹慎かもしれませんが、「利用者本位」を大切に考えておられる、そんな惣卜さんとなら、私も「一緒に酒が飲みたい」、そう言わせてもらいたいものです。
・・・失礼しました。
ありがとうございます。
「後悔」、今は前向きに捉えています。あの経験がなければ今の自分はないので。
今回、こうやってあの方を改めて思い出し、振り返る機会を作ってくださりありがとうございました。
ぜひ、色々な話をしてみたいです。
中尾根さんお願いします!
Rehabilitationの直訳
「再び適した状態にすること」
医療現場では「身体面における再適化」のみが焦点となり、
老健では「在宅復帰こそが再適化」の焦点となる。
各時期での焦点の変化が
新たな「盲点」を生むのでしょう。
ちなみに、リハビリテーションを漢字で書くと「再活」や「再健」と書きます。その方にとっての「活力」や「健やかさ」に関する盲点を作らないことが真のQOL向上に繋がりますよね。
このレシピは、「再活プログラム」の実践例と感じました。
グッジョブですね!!
以前、聞いたお話です。
ターミナル期にある高齢者の患者様で、四肢の拘縮がひどかった方が亡くなられました。
棺桶に入った際に蓋が閉まらず、大腿骨を人為的に折って納めたとの事でした。
亡くなられて痛みを伴わないとは言え、大腿骨を人為的に折られたご遺体は、きっと痛かったに違いありません。
ご家族にとっても、辛いお気持ちだった事でしょう。
棺桶に納めるために、ご遺体の骨を折らざるを得なかった担当者もまた、心を痛められたに違いありません。
ターミナル(看とり)期にあり回復の見込みがない方であっても、人生の最期を迎えられた時に、安らかにおやすみ頂けることをも視野に入れた、そんなケアを日々実践していきたいと思います。
QOL向上の視点のみならず、QOD(Quality of death)を追求するうえでも、Rehabilitation「再び適した状態にすること」を実践する意義は大きいと感じました。
各時期での焦点の違い」難しいですね。本来であればそこに生じる盲点は存在しないとも考えられるでしょうし、存在させてはいけないとも思ってしまいます。
というか、サービスを提供する側が自然とそれを作ってしまっているとも思ってみたり。
現実は難しいですが盲点を無くす努力をしていきたいです。
お互いPTらしくないですが(笑)これからも学ばせてください!
棺桶はサイズや形を変えられないものなのでしょうか?私もたまにそんな話を聞きますが、最期に型にはめられるなんて…想像するだけで辛いです。
我々通所サービスは、自宅で最期を迎えると覚悟を決めた方々の生き方を、最期の瞬間まで立ち会いたい、予期せぬ最期であったとしても最期に会った時に後悔のないよう日々関わっていきたいと思っています。