岩手県内三陸海岸を中心とした沿岸の地域は、岩手県の内陸部よりも人口減少が顕著で高齢化の進行した地域でもある。高齢者世帯や独居の高齢者世帯が沢山存在していた。

また、息子や娘と同居していたとしても震災の発生した時間は、午後の2時半過ぎで皆働いている時間帯であったことから、家に残っていたのは働きに出ていなかった高齢者であった。震災発生と共に津波を予感した人たちは、先ずは避難を考え高台に避難する行動を起こした。高齢者であっても自分で動ける高齢者は、避難のために家を出て高台へと逃げた。しかし、要介護認定を受けている高齢者の多くが、自力での避難を無理と判断しせいぜい自宅2階に避難するのがやっとだったという。

このためこのような高齢者の多くが、津波の犠牲者となったのである。
もちろん認知症の高齢者は、十分な安全の場所の確保は困難であることから認知症の犠牲者は多いであろうと推察できる。また、寝たきりの高齢者や要介護度の重者は、地震発生時は午後の2時過ぎであったことから、ほとんどの家庭は高齢者しか在宅しておらず避難するのは物理的に無理で、手つかずの状態で津波の犠牲者となったのである。後日、被災地では要介護認定の高齢者の人数把握をしたが、震災前よりも震災後の要介護認定者が減少していることが分かった(陸前高田市)。

一方、在宅の要介護認定者においても、震災当日デイサービスを利用していた高齢者は、サービス提供事業者の判断で避難でき、利用者の多くの命が守られたのである。そして、その後の避難生活でも事業者の努力と工夫で生活が確保されて行ったのである。また、高齢者施設を利用していた高齢者でも津波が押し寄せなかった施設は安全が確保されたが、津波が押し寄せた沿岸部の施設は被害が甚大で施設入居者の多くが犠牲となった施設もある。被災地の高齢者施設は、地震の発生と同時に停電と断水が襲った。このため正確な情報を確保することが出来ず、避難の体制をとることが出来ない状態であった。
また、これまで福祉施設の多くが、火災を想定した避難であったため外への一時退避訓練がほとんどであった。しかも施設には寝たきりの高齢者が多くいたため車での移送についてもピストン移送しなければならない状態で、短時間のうちに利用者全員を避難させることは至難なことであった。