陸前高田市では、災害後1カ月を経てから避難所にいる認知症高齢者に対して専門的に医療や介護を提供する福祉避難所を設置した。この部屋も決して広いスペースとは言えず、床に直接、畳や毛布を敷いただけの所で寝ている人も大勢いた。その現状を何とか打開するため保健師、ケアマネ等が市役所と相談し避難所でも介護保険を利用して、福祉用具をレンタル出来ることになった。

そこで問題となったことは、①介護認定を受けているか ②福祉用具を利用できる介護度か ③避難所で歩けなくなり、介護が必要となった人はどうするかなど、介護保険を視野に入れて対応することが進められて行った。介護保険の未認定者でも、介護申請を促し積極的に福祉用具を活用することにした。

市役所も介護認定や福祉用具に利用には特段の配慮を示し、介護認定を受けていれば避難所での福祉用具の使用を認め、介護度が低い避難者であっても暫定で車いすやベット、エアマットの利用を認めた。福祉用具の事業所が流された中で、建物もなく書類もない状態の中で、市役所の対応は多くの人から感謝された。その後、こうした福祉避難所の利用者は介護施設に移動した。

その結果、介護施設が定員を超えた70人が100人を超えた。一人部屋が2人部屋になったり、介護スタッフに過剰な負担を負わせることになった。施設職員もその多くが被災者であることから、本来であれば家族のもとにと帰り家族を捜したり、生活を支えるための役割を行うことが求められながら、仕事をし続けることへの精神的負い目を抱えながらの介護の仕事であった。こうした職員は、時として助かったことへの負い目を感じながら時々涙を流すなどの様子が見られたのである。

被災して間もない頃の被災高齢者の多くが、不安を訴え様々な行動障害が見られた。例えばテーブルを握って離さない。家に戻りたいと徘徊する。物が盗られたと訴える等がみられた。こうした行動障害の背景には、被災した認知症高齢者の人の具体的な情報を持たないまま、対応していたのである。このため認知症高齢者に余計な不安を与え、落ち着いた環境を提供することが出来なかったのである。この時に認知症高齢者の好きな食べ物や趣味、仕事などの情報を持っていたとしたら、落ち着かせることが出来たのではないかと思われる。

そして、認知症高齢者の多くが持っていた「家に帰りたい」との気持ちにも「戻れるよ」との言葉を返し、いつかは必ず戻れることを伝え希望を持たせることができたのではないだろうか。また、自宅に帰るためには、変えるための足腰が必要なことを伝えることで運動することへの意欲を引き出すことも出来たのではないかと思われる。