認知症高齢者が仮設住宅に移ってから、認知症が更に悪化していることもいくつもの仮設住宅から報告されている。例えば、自宅ではトイレや入浴は出来たが、数メートル先のトイレや入浴ができなくなったことや、仮設の建物が同じで形、色合いのため自分の自宅を識別できないため、外に出たくても出かけられない等、環境が認知症を作っていることの報告が上がっている。

一般的に認知症高齢者の認知症診断基準は、
①物忘れなどの記憶障害 
②季節・日時・場所が分からなくなる 
③日常生活に支障がある等である。
特に③に対して対処することが重要であり、一人ひとりに向き合った支援や援助が必要である。特に仮設住宅はコミュ二ティや人との絆が育っていないことで、認知症高齢者にとっては小さな声掛けや見守りで生活できるものが、全く生活できなくなっているのである。

こうした弊害をなくすための取り組みとして、登場したのが「グループホーム型仮設住宅」である。ここは、概ね12人の人たちが一緒に暮らすことで、生活者としての意欲を引き出すことを目標に取り組んでいる。例えば、一緒に食事を作り、作業を行ったりしている。ここには共有のスペースが確保されている他、ベットがあったり、和室があったりとそれぞれの利用者の希望に応じた部屋づくりを行っている。趣味の生け花や、畑の作業も出来、花壇も作りも楽しむなど市域住民との交流にもなっている。特にこうした利用者と地域住民とのつながりは大切で、交流が深まることで活動が広がることが期待されている。

なお、このたびの震災は、認知症高齢者の避難方法や退避について、いくつかの教訓を残している。それは避難や退避にはマニュアルがないということである。
言えることは医療、介護、家族が力を合わせて、現実問題に対応するということであった。停電と交通渋滞の中では、整然とした避難は夢物語で、てんでばらばらになって逃げることであった。そして、とりわけ認知症高齢者の避難は、近くの高い建物や裏山に速やかに逃れることであった。

今回の震災時に動揺する職員に対して認知症高齢者が「しゃんとして、先ずは落ち着け」「色々あっても時間が解決するから頑張れ」と励まされる場面があったと報告されている。このことは認知症高齢者の潜在的に持っている能力を示す出来事で認知症高齢者の底力を見せている。こうした認知症高齢者への私たちの無知が、逆に認知症高齢者の人を混乱させていたともいえるのである。認知症高齢者を理解することで、認知症高齢者の人たちの底力を引き出せるとも言えるのである。

震災当初は、命を救う「救援」を最優先しなければならないが、今回の被災地は3週間たっても4週間たっても生活環境は全く変わらない状態で、避難者の生活環境の改善は図られなかった。これは、被害の規模が桁違いに大きな災害であったことで、4週間後の1ヶ月後でも避難している人たちの「命」を最優先に考えなければならない状態であった。多くの避難所では、厳しい寒さや物資不足に加え、上下水道が使えず衛生状態がきわめて悪くなっていた。とりわけ避難所の弱者といわれる高齢者が次々と体調を崩し、病状を悪化させ救急車やヘリで医療機関に搬送される高齢者が相次いだ。

避難所で家族にみとられて亡くなる高齢者がいる半面、誰にも看取られず息絶えていく高齢者もいた。津波から逃れた命が、避難所で命の瀬戸際に追い込まれながら、声をあげることも出来ずひたすら耐えている高齢者、家族の姿が避難所にあふれていた。そして、こうした状態を何とかして改善しようと奔走する避難者や教員、住民の姿もあった。看護師の資格のある人は、避難者の健康に気を配り、一人ひとりに声掛けしていた。介護福祉士やケアマネジャーの人たちも安否確認や生活支援を積極的に行う姿も見られた。