避難所の高齢者は時間の経過とともに体調や疾患により、医療機関や老人ホーム、仮設のグループホーム等に移動を行うことになった。しかし、絶対量が不足した被災地では、移動できた人は一部の人たちで多くの高齢者は避難所や自宅にとどまっていた。

高齢者の立場は決して行き届いた配慮された状態ではなかった。

多くの高齢者が体調を崩し病院や診療所で治療は受けられるが、病院のベッドはどこもいっぱいで、よほどの重症でなければ入院はできない状態であった。また、運よく入院が出来たとしてもある程度改善したら退院しなければならない状態でもあった。結局、高齢者は避難所や自宅に戻り、じっとしているしかない状態であった。

行き場のない高齢者が戻ってくる避難所は、日増しに衛生状態が悪くなっていった。ほとんどの避難所は、水は出ない、電気は自家発電で限られた時間に明かりを確保するだけの状況である。このため避難所の衛生状態は、断水してトイレが流れず、使えたところも汚水を受ける水槽が満杯になっていた。このため排泄物は新聞紙に包み、バケツにためて、まとまった汚物はポリ袋に入れ、外に放置されていた。また、ある避難所では、穴を掘って用を足すなど、きわめて悪い状態になっていた。

水道の出ない避難所では、ポリタンクの水を使い、一度使った水も再利用するためにバケツ容器にためていた。水の足りないところでは手を洗うことができず、消毒剤を使い感染症に気を付けたが、収容人員があまりにも多いことで消毒剤がすぐになくなってしまう状態であった。